東洋の瞑想と西洋の心理学をつなぐプロセス瞑想 「自分探しの瞑想」アーノルド・ミンデル 読感
とても興味深い本でしたので書きます!!
瞑想も心理学も、人間の成長を目指すものですが、東洋と西洋では、どのようにちがうのでしょうか。
西洋の心理学と東洋の瞑想の間には、共通点もたくさんありますが、違いもあり、そのために対立が起こることもあります。
西洋の心理学の問題点
・自分の外側にばかり向かう
自分の内面に向かうよりは、他の人との関係を考える西洋的な態度は、人間関係について学ぶのに役立ちます。しかし、こういうかかわり方ばかりしていたのでは、自分自身に向き合う体験がしにくくなります。こういう内的な経験が欠如すると、次のような傾向が生まれます。
①沈黙や言葉によらないコミュニケーションが出てくるとき、相手の内面を共感的に理解することができなくなる。
②自分自身や相手の中から何かが出てこようとするとき、それを恐れたり、注意を向けなかったり、否定しようとしたりするようになる。
③相手の深い愛情に気づかずに、自分の一方的な考え方を相手に押しつけたりする。
④すぐに相手をどうにもならない人だと決めつけてしまう。
⑤クライアントに、自分自身にかかわり、自分を成長させる方法を教えないので、いつまでもセラピストに依存させる傾向がある。
・お互いにつながりがない
今日の西洋の心理学には何百という学派がありますが、お互いにほとんどがつながりがありません。今でもボディワークやマッサージは、体に触れるだけで、言葉によるサイコセラピーとは別のものとして考えられています。同様に、家族療法は、夢のワークやボディワークのような内面に向かう手法を持っていません。また、私たちは、セラピストと一緒にワークすることは知っていますが、自分ひとりで自分のワークをするやり方はほとんど知りません。
東洋の瞑想の問題点
・「雑念」あってはいけないと思う
あなたは瞑想をしていて、雑念に悩まされたことがありませんか。
チャールズ・タートという人が次のように書いていますが、瞑想をする多くの人たちは、きっと同じような感じをもったことがあるのではないでしょうか。
私は長い年月の間、さまざまな形の瞑想を断続的に実践してきましたが、ほんとうにうまくやれたということは一度もありませんでした。
私は、半分冗談、半分悲しげに、「私は瞑想がうまくできない名人だよ。だって集中できなくて、雑念ばかり出てくる体験をこんなに続けてきたのだからね」と言ったりします。瞑想が大切だということは頭ではわかっていても、どうしたらいいかというと何だかわからなくなり、やってみてもうまくいかないと、やろうという気持ちがなえてしまします。
・いつでも、心身を静めることから始める
東洋の瞑想には、大きなふたつの柱として、心身を静める「サマタ」と、意識の清澄さと気づきを高める「ヴィパッサナ」があります。
東洋の瞑想ではこのふたつは共に必要なもので、心身のやすらぎと気づきは両方なくてはならないものとされています。しかし、いつでも、まず心身を静めるサマタから始まるのです。
・深く内面に入るが、人間関係をなおざりにする
ほとんどの東洋の瞑想は、深く内面に入ろうとしますが、人間関係の対立やコミュニケーションという問題を、どちらかと言えばなおざりにしてしまう傾向があります。人間関係の煩わしい問題を避ければ、もっと深く内面に向かうことができるというのは利点ですが、人間関係の中で起こる感情を抑圧すれば、現実の生活は決してうまくいきません。避けてしまった感情はほかのやり方で出てきますから、対人的な葛藤をさらにつくりだすことになります。
プロセス瞑想
プロセス瞑想
ひとことでいえば、東洋の瞑想と西洋の心理学をつなぐことにより、それぞれの良さを活かし、今述べたような、それぞれの問題点を越えようとするもの。
瞑想とは、静かに座り心を静める、ひとつのものに意識を集中する、自分の中に起こってくることに気づく、などと、さまざまな意味に使われる言葉ですが、私たちは、瞑想の意味をさらに広げて、自分のなかにあるいのちの流れに気づく、たえず成長し変化し続ける自分の内面のプロセスに気づく、という意味も含めています。
特徴
・いま、ここに、生きる
・対人関係で起こる対立や感情も避けない
・雑念は悟りへの近道だと考える
・低次元だといわれる感情や衝動の言い分を聞く
・悟りの落とし穴
・リラクゼーションだけがすべてではない
・自然に出てくる創造的な動きや感情を大切にする
本編では、プロセス瞑想の詳しい解説、気づきのプロセス、ワークなどとても興味深い内容になっています。現代科学、チベット仏教の統合をはかる活動を続けるヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェにも共通するような考え方もあり非常に面白いです!!
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